2008年11月13日
タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン[3]
天気は快晴で欅祭の幕は開けた。初日はまだ平日なので人出は少ない。結局我がクラブは、当初のプラン通りヤキトリ屋とクレープ屋の二本立てである。ただし、店名、看板、売り場はそれぞれ別で、コンセプト通り二つの店が独立して存在するように工夫をした。南面のクレープ屋は『アッチェリア』、東面のヤキトリ屋は『洋弓乃瀧』だ。なかなかいいネーミングでしょ。
クレープは、自宅組のお中元・お歳暮のジャムをかき集め、焼いた生地にそれを塗って三角にたたみ紙ナプキンにくるんで一枚200円。原料のパンケーキミックスは、部員で、家がスーパーをやっている川上さんからの寄付ですべてタダ。買うのは牛乳だけ。だからほとんど原価がかからない。店はハンバーガーショップのパロディ路線でいっていたので、女子部員のかわいいのを優先的に、全員に黄色のトレーナーを着せて統一しカウンターに配置した。オレンジの色画用紙で作った帽子を頭にちょこんと乗せて、
「いらっしゃいませ、アッチェリアへようこそ!」
で、マニュアルもパロった。女の子もノリノリで、華やかな、にぎやかな一角がキャンパスに出現した。ちなみに、女子の洋弓部は総勢25名で、普段の練習や運営は男子とは別に独立してやっている。ただ同じ競技だし施設も共有しているので、合宿やこういう行事は合同でやるのだ。
めずらしさも手伝ってスタートから好調だ。偵察隊を出して他のテントの状況を調べたが、我々意外にクレープをやっているところはない。とりあえず安心だ。
ヤキトリの方がスタートはパッとしなかった。考えてみれば当然で、昼間からヤキトリくわえて一杯というものでもない。ようやく3時ごろからぼちぼち動き出す。クレープは店先で売るだけだが、洋弓乃瀧は、テントの中に席があり、いわゆる居酒屋のスタイルをとった。白い木綿に墨で大きく『洋弓乃瀧』と書いたのぼりをたてて、手ぬぐいでハチマキをした1年の男子が「焼き」を交代で担当。これが案外おもしろくて、先輩たちが俺にもやらせろとバーナーの後ろに割り込んだりもした。煙モクモク、タレをつけて焼く匂いはたまらない。ウチワでパタパタやって周りの人ごみに匂いを振りまける。これが結構効果があって、つられて買ってしまう人がいたりもする。ヤキトリは1皿4本で200円。ビールと日本酒も出す。原価は一本15円、4本で60円。クレープよりはかかるがそれでもずいぶん安い。それにアルコールの儲けでそこそこいくだろう。不安はあったがこっちもまずまずだった。
ただ夢中で初日が終わった。今日、青木さんは部屋に来ない。すっかり忘れていたが、そう考えるといっぺんに時間が余ったようでヒマになってしまった。そうだ、有紀に頼まれていたレコードを録音してやろう。後片付けもそこそこに、テープを駅ビルで買ってから、いつもの定食屋でショウガ焼きをかきこんで、飛ぶように部屋へ帰った。頼まれたアルバムの録音は、デッキをセットしてターンテーブルに針を落とせばおしまいだから単純。でもそれはそれ。もう一本は僕の思い入れを込めたスペシャルバージョンのベストテープを作ってやろう。レコードとテープを机の上にガラガラ広げると、曲の組み合わせをあれこれ考え始めた。みるみる自分の世界に入ってしまう。
この曲さえ聞いていればご飯もいらない。この曲は寝る前に必ず聞く。聞く度にせつなさで涙が出そうになる曲。朝、目覚めに聞きたい曲。落ち込んだらこの曲。あこがれの西海岸の映像が浮かんでくる曲。思わず体が勝手に動きだしてしまう曲。二人っきりで聞きたい曲…。音楽はその当時、僕にとってただの『ミュージック』ではなかった。生活の一部、いや大半だったかもしれない。重要な精神の柱であり、オアシスだった。あこがれを膨らますものであり、想像力をかきたてるエネルギーでもあった。そういう、僕の精神にとってきわめて重要な位置を占める音楽を自分以外の人に選んで聞かせようとするのは、同じ波長の感動を共有したいと強く思うからだ。感動の共有ほど精神を満足させるものはないと思っている。好きな曲は一緒に好きになってね、ということ。テープを送りたくなるかならないかは、僕にとって女性に対しての好感度のバロメーター。ベストテープを作るということは、その最上級の表現だったのだ。ただのダビングとは「志」が違うんだ。
アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ダイアナ・ロス、ドゥービー・ブラザース、イーグルス、ロビー・デュプリー、トニー・シュート、ジム・フォトグロ、トト、スタッフ、クール・アンド・ザ・ギャング、マイケル・ジャクソン、エアプレイ、クリストファー・クロス、J.D.サウザー、ランディー・バンウォーマー、スーパートランプ、ジャニス・イアン、シーナ・イーストン、クイーン、ジョージ・ベンソン、アール・クルー、ボブ・ジェイムス、ハーブ・アルパート、ドナ・サマー、スティービー・ワンダー、シカゴ、リンダ・ロンシュタット、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、デビッド・フォスター、アベレージ・ホワイト・バンド、ブラザース・ジョンソン、ボストン、エレクトリック・ライト・オーケストラ、ボビー・コールドウェル、カラパナ、デイブ・グルーシン、チャック・マンジョーネ、エア・サプライ、オリビア・ニュートンジョン、ケニー・ロジャース、ボズ・スキャッグス、スリー・ディグリーズ、ステックス、ビリー・ジョエル、ルパート・ホルムズ、ティモシー・シュミット、サンタナ、リー・リトナー、ポインター・シスターズ……、想いは尽きない。
テープが完成したのは2時を過ぎていた。気持ちがたかぶって、いてもたってもいられず、有紀に電話する。あの声が聞きたかった。でも、ベルを鳴らし続けたが出る気配がない。横浜へ帰っているのかもしれないな。空振して、話したい気持ちが余計高まってイライラしてくる。青木さんが来なくなったことはまだ伝えてなかったから、いないことを理由に有紀は攻められない。でもとにかく話したかった。時間が時間だけに横浜にかけるわけにはいかない。あきらめよう…。しかたなくお風呂に入って布団にもぐり込むが、ますます頭が冴えて寝つけない。
まいったな。まあ、しょうがないかぁ…。でも、誰かとしゃべりたいなぁ。
『…そうだ、クミさんに電話してみようかな。でもちょっと大胆かな? ずうずうしいかな? でも、番号までわざわざ教えてくれたんだから…。第一僕のこと覚えてるかな? どうしよう…」
迷いに迷ってもう時間は3時近い。向こうは僕の名前も住所も知らないんだ。ダメモトでかけてみるか…。とにかく誰かと話したい。もらった名刺の番号を恐る恐るダイヤルした。3、4回の呼び出し音ですぐにつながる。
「もしもし」
聞き覚えのない声だ。しまった、とビビッて言葉が詰まりそうになるが、かけたからには後に引けない。
「あの、クミさんいらっしゃいます?」
「私だけど…」
「エッ。あの、僕のこと覚えてます? 昨日名刺もらった…、あの、学生二人で」
「ああ、あの。声が…、そうよね、どなってしゃべってたもんね。違うよねぇ。ほんとに電話くれたの」
「すいません、夜遅く。迷ったんだけどなんか、かけちゃいました」
「こんなにすぐにかかってくるとは思わなかったわ。元気?」
「ええ。なんか軽いでしょ、簡単に電話しちゃうなんて」
「なに言ってんのよ。かけてほしいから教えたんじゃないの。ありがとう。ねぇ、それよりあなたの名前聞いてなかったわ。教えたくなかったらいいけど、知りたいなぁ」
「村田です。べつにまずくないです。クミさんちの近くの学校ですよ」
「なぁんだ、町内会じゃない。ムラタくんか。イメージ合うね」
恐る恐る始まった会話は、昨日のクミさんとはちょっと感じが違っていたが、不思議にすらすら自分のことを話してしまい、彼女もそれをちゃんと聞いてくれた。
「ねぇ、クミさん。好きな人いるの?」
「きたな、いきなり。今はいないわ。いたけどね……。でも楽しくやってるよ、好きなことやってね。好きな人できたらやめるわ、この仕事。…ねぇ、ムラタくんは今恋してるんでしょ? 違う?」
「どうして?」
「わかるわよ。こんなこと聞いてくるんだもん。なんかあったの? 彼女と」
「いや、なにも。ただ、彼女のことを今まで好きになった人よりずっと好きというか、『好き』の中味が違うって感じなんです。それが苦しいっていうか、どうそれを相手に伝えたらいいのかなあって」
「せつない話ね。私なんかには、どうしたらいいかわかんないわ。あなた正直そうだし。なにもしなくたって伝わるわよ。男と女って難しく考えないほうがいいみたい。好きならそれでいいじゃない。これ答えになってないね」
「いや、それはいいんです。ただ話がしたくて…」
「ねぇ、ムラタくんどこに住んでんの?」
「井の頭公園の近くです」
「なぁんだ、近所じゃない。ねぇ飲みに行こっか?」
「うん、都合のいい時に誘ってください」
「朝までやってるとこ知ってるもん、行こっ」
「えっ、これから?」
「だめぇ?」
「いや、いいけど…」
「明日学校? あたしは、どうせお昼近くまで寝てるから平気なのよ。普通の人達とは生活のリズムが違っちゃってるから…。でも勉強の邪魔しちゃ悪いわ。無理だったらいいの。ごめんなさいね」
「いいよ、行きましょう。いま学校は文化祭で講義ないんです。お祭りだから…」
南口の小さなスナックでクミさんに会った。ジーンズに白のボタンダウン、ストーンウォッシュの皮ジャンバーだけのシンプルでボーイッシュな格好。昨日は暗かったし、場所が場所だから気がつかなかったが、丸顔に薄化粧をしたクミさんは、なかなかチャーミングで、とてもあの店にいるイメージはなかった。最初の出会いがまあ特殊だったし、昨日の今日なので初めは照れくさかったけど、ある意味これ以上ないところまでさらけだして見せてしまっていたわけだから、開き直りというか、安心感みたいなものがあって、一杯目の水割をあける頃にはなんでも話せる気がしていた。有紀とのことはそこそこに、クラブのこと、父との確執、母の健康の不安など、有紀には話していない、ありのままの裸に近い自分を聞いてもらった。クミさんは、うんうん、うなずくだけで僕が一方的にしゃべっていたのだけど、その、うんうん、のタイミングがとても小気味よくて、胸に熱くくすぶっていた塊みたいなものが、スッと溶けていくような感じがした。
早朝、駅へ急ぐ人たちが数を増してきた。朝のあわただしさがこれから始まる。バスが止まる度に着膨れた人達がはきだされ駅に吸い込まれていく。この一日の始まりの空気を、晴れやかに気持ちよく呼吸できたのはクミさんのおかげだ。帰って寝るだけよ、と手を振ってさっき別れた彼女と過ごした時間は、まるでリアルな夢を見ていたような感覚だ。また会いたくなる。
まさに朝帰り。部屋に着いたのは、まだ7時をちょっと過ぎたぐらいだ。家庭を持ったらこんなのは由々しき事なんだろうな。でも、あまりにも遠い話で現実感がなくピンとこないが…。今日は9時までに学校に集合すればよかったので、少しゆっくりできる。優雅に朝風呂とまいりますか。しゃべり過ぎた疲れとアルコールの残りもあってなんとなく体がふわふわしていた。昨日作ったテープを流しながら熱めのお湯に体を沈め、明け方の会話を頭の中で反芻する。有紀の顔、クミさんの顔、緑さんの顔が浮かんでは消え、それぞれの声や笑いが耳の奥で鳴っている。三人はそれぞれ一面識もなくこれからも会うことはないだろう。僕という小さなありふれた人間がそれぞれをつないで、小さな宇宙を作っている。でもこの宇宙の深さや奥行きの神秘さは、僕にしかわからない。三人の取り合わせのすばらしさは、誰にもその本当の所は理解はできないだろう。しかもそれはこの瞬間だけのものであり、永遠に続くわけではない。今のバランスが、今すばらしいんだ。有紀は僕が今こんなことを考えていると知ったら泣くかもしれない。わかってもらえないかもしれない……。僕は気が多すぎるのだろうか? 一途さに欠けるのだろうか?誠意がないと言われるだろうな。不真面目なのかもしれない。
電話が鳴っていた。こんな早くから誰だろう? あわてて体を拭いて出たものだから、部屋は滴だらけになってしまう。
有紀だった。
「寝てた? 先輩近くにいるの?」
「いや、来ないことになったんだ。おとといの一晩だけで。どうしたの? こんな早く」
「朝じゃないとどっか行っちゃうでしょ、集合があるとか言って。なぁんだ、じゃ一人ね。気遣って損した! 一応心配してあげたのよ、襲われたんじゃないかと思ってさ」
「ちょっと待ってて。今裸なんだ。寒くてカゼひいちゃうよ。ちょっと待って」
「なによ、こんな時間から。なにやってたの?」
「フロだよ、フロ。ちょっとタイム」
急いで体の滴を拭き取ってトレーナーの上下を着ると、コタツのスイッチを入れて首まで潜り込む。ひっくり返って、シミだらけの天井を眺めながら受話器を耳にあてた。
「ごめんごめん」
「ねぇ、お店うまくいった? 体育会さん」
「どっから電話してんの?」
「ウチ。横浜に帰ってるの。家だとこんな時間に起きなきゃなんないのよ。久しぶりに娘の顔見せて安心させて、ついでにゴマすっといたのよ、おこずかい稼ぎにネッ。へへぇ。ああ眠い」
「平和だな」
「なによ、なんかトゲあるわねぇ。あなただって朝からお風呂なんか入って贅沢してるじゃない」
「用事はなんだよ」
「なによぉ、そんな言い方ないでしょ。…文化祭、案内してくれるんでしょ。行ってもいいんでしょ、
ねぇ。なんかあったの? もしかしてほんとに襲われちゃったの?」
「バカ」
「なによぉ、心配してんじゃないの。ずいぶんご機嫌斜めねぇ。ユキちゃんが恋しいんじゃない?」
キレた。
受話器を耳に当てたまま左手でダイヤルの上の白いフックを無造作に押した。有紀がなにか言いかけたが、ツーの発信音に変わって途切れる。
激怒した訳ではない。クミさんのあの、うんうん、が頭から離れず、それに比べ有紀の無邪気さが腹立たしかった。なんの不自由もなく伸び伸びと育った彼女に罪はない。だけどそのことが今この瞬間にはトゲに思えた。自分のことは棚に上げて…。
9時の集合にすべり込むと、祭の二日目は昨日と同じようにスタートした。
一睡もしていないのに夕方まで緊張を維持することができるだろうか。案の定、3時頃から頭がボーッとしてきて立っているのが辛くなってきた。でもみんな持ち場に慣れてきて、僕としては特別心配はなかったのだが…。
洋弓乃瀧にはちょっとしたカラクリがあった。昨日営業をスタートさせた時点で、OBから『菊政宗』と『剣菱』の一升瓶がそれぞれ一本づつ差し入れられた。酒飲みにはどちらも名の通ったお酒で、買えば2千円前後したはずだ。ところが所詮学生のお遊びの悲しさ、僕たちはヤキトリの本数をさばくことしか頭になく、お酒の確保などは計算外で、二升の日本酒は初日のうちにアッという間になくなり、かといって大量に仕入れるリスクを背負うわけにもいかず一時は販売をあきらめかけた。しかし、ヤキトリ屋に日本酒がないというのは通用しない。あわてて正門の横の酒屋に駆けこんだところ、『歌舞伎』と『歌麿』という外人に受けそうな名前の二級酒があり、これがなんと一本700円。もちろん一升瓶でだ。ここで思いついたのが「スプライト・三ツ矢サイダー方式」。これはナイスとその二級酒を買ってきて、『菊政宗』の空瓶には『歌舞伎』を、『剣菱』の空瓶には『歌麿』をジョウゴを使って入れる。それぞれ紙コップ一杯200円で売り、安い!と評判もよかった。
図に乗った。
夕方、角刈り学生服下駄履きという7、8人の集団が店に入ってきた。体育会空手部御一行様である。ウチの2年の先輩の友達が空手部にいるとかでお越し戴いたらしい。ここの部の上下関係の凄まじさは、我がクラブの比ではない。1年奴隷、2年平民、3年幹部、4年神様なのだ。1年は4年生に直答を許されていないとも聞いている。花の応援団を地でいっていたらしい。とにかく凄いのである。その時僕は当番ではなかったが、テントの奥でビールの空瓶を片付けていた。
額に剃りの入った小柄な学生服が4年生らしかった。その先輩が座るまでみんな直立不動で、残りが一斉に座った後も誰も一言も口をきかない。張り詰めた空気が漂っている。
たぶん3年だろう。先に座った4年生に、
「先輩。なにを召し上がりますか?」
「うーん。ヤキトリでももらうか」
ウチはヤキトリしかありましぇーん。…この時はまだ余裕があった。
「酒はどういたしましょうか」
「なにがあるんだ?」
「オッス。オイ、1年聞いてこい」
「オッス」
手を伸ばせば届きそうな距離を、背骨に鉄筋でも入っていそうな姿勢でヒョロッと背の高い1年がカウンターまで聞きに来る。この狭いテントの中で…、聞こえてますって…。その時の当番は岡村。繰り返された質問に堂々と、
「『菊政宗』と『剣菱』をそろえております。ビールはキリンです、ハイ」
背の高い鉄筋入りは元に戻ると同じことを3年に向かって繰り返す。めんどくせぇの。
「『菊政宗』と『剣菱』、ビールはキリンだそうです。ポン酒にこだわる先輩にはなかなかの取り合わせですね」
3年が4年の顔色をうかがうように言った。エッ、ポン酒にこだわる?
「そうだな、『剣菱』か。いい酒だ。それをもらうか」
「オッス。あの、酒はどうします? 燗してもらいますか?」
「ん、そうだな。せっかくのいい酒だ。燗にするのはもったいない。冷でいい。ん、それとちょぼちょぼ出すな、瓶ごともらっとけ」
「オッス」
スッと血の気が引いていく。これはヤバイ。1年がさっきとおんなじことをまた繰り返して注文にきた。
「あのぉ、瓶ごとだと2千円になりますが…」
岡村もビビッていたらしく、声がうわずっていたし一升瓶を渡す手も少し震えていた。
中味が『歌麿』の『剣菱』は、うやうやしく1年奴隷に抱えられ4年神様の紙コップに注がれた。気が気ではない。タイミングよくヤキトリも焼けてテーブルに届けられた。事情を知っている店の当番全員は逃げ腰である。
神様がコップの中味を一口飲んだ…。
「うーん。ん……、さすが『剣菱』だ。うん、おまえらも自由にやれ」
「オッス。いただきます」
神様は満足そうにヤキトリを一串ほおばった。奴隷たちは一升瓶を持って酒をついでまわっている。
「オッス。いただきます」
「オッス。いただきます」
「オッス。いただきます」
判で押したように、学生服の一団がコップ酒をあおり始めた。やれやれ。しかし、相変わらず会話はなく、空気は張り詰めている。どこが楽しいのだろう?
「1年! 歌でも歌え!」
3年が命じている。
「オッス」
一番端にいた、がっしりした色の黒いのが立ち上がり、真直ぐ前を見据えていきなり歌い出す。
「♪ 一つ出たホイのヨサホイのホイ、一人娘とやる時にゃ、親の承諾得にゃならぬ ♪
♪ 二つ出たホイのヨサホイのホイ、双子の女とやる時にゃ、姉の方からせにゃならぬ ♪
♪ 三つ出たホイのヨサホイのホイ、醜い女とやる時にゃ、顔を隠してせにゃならぬ ♪ 」
3年と4年3人がそれぞれ飲んだり、タバコをふかしたり自由にやっていて、残りの1、2年は手拍子をしている。いやいや、あり得ない話だが、空手部に入らなくてよかった。ついていけましぇーん。
歌は続く。
「♪ 四つ出たホイのヨサホイのホイ、夜の女とやる時にゃ、金の心配せにゃならぬ ♪
♪ 五つ出たホイのヨサホイのホイ、いつもの女とやる時にゃ、手を変え品変えせにゃならぬ ♪
♪ 六つ出たホイのヨサホイのホイ、昔の女とやる時にゃ、思い出し出しせにゃならぬ ♪
♪ 七つ出たホイのヨサホイのホイ、夏に女とやる時にゃ、汗をふきふきせにゃならぬ ♪
♪ 八つ出たホイのヨサホイのホイ、ヤクザの女とやる時にゃ、覚悟しながらせにゃならぬ ♪
♪ 九つ出たホイのヨサホイのホイ、濃い女とやる時にゃ、かきわけかきわけせにゃならぬ ♪
♪ 十出たホイのヨサホイのホイ、隣の女とやる時にゃ、まわりきょろきょろせにゃならぬ ♪」
「オイ、おまえ。名前はなんだ」
「オッス。山口です」
「いい声だ。飲め」
「オッス。頂戴します」
1時間ぐらいいた御一行様は、もう一本の『剣菱』(この頃には僕たちはかなり大胆になっていて、しばらくお待ちください、と空瓶を回収すると、テントの裏で詰め替えをしてそれを出したのだ)を空にするとかなりよっぱらって機嫌よく出て行った。なんとかなるものだ。みんなで顔を見合わせて大笑いした。オッス!
二つの店は順調に売り上げを伸ばしている。クレープの方はその場で作っていたのでは間に合わず、女子部室で作りだめをしておいて、店先では暖めてジャムを塗るだけにした。こうすると回転がかなり違う。飛ぶように売れた。ヤキトリも店頭だけでなく、焼いたものを自転車の荷台に乗せてキャンパスの中を部員に行商させる。一回に50本ぐらいをノルマにしても、二人一組で構内を一周するとほとんどさばけてしまう。担当だったとはいえ1年の男女18名全員の、義務を超えた協力があったからで、またみんなおもしろがってやった。岡村なんかはヤキトリの売り場からほとんど離れず、お昼にはセブンイレブンでご飯だけを2パック買ってきて、その上に串からはずしたヤキトリにタレをかけて、うまい、うまいと毎日やっていた。
有紀とのことはそれまで忘れていた。そういえば今朝やっちゃったんだ。アイツいつ来るつもりなんだろうな?まさか今日は来ないだろう。まぁいいか…。
テントは部員の友達や家族が入れ替わり立ち替わりで、人が途切れることがないまま三日目も終り、今日が最終日、フィナーレである。今日もクラスの悪友たちや、学習院、成城といった仲のいい大学の連中も次々に来てくれて賑やかさは増すばかり。嬉しい忙しさだった。
おとといの夜から電話をし続けているが、有紀に連絡は取れなかった。横浜にも電話は入れてみたが、お母さんが出て、あの口喧嘩の日のお昼には高井戸に戻ったという。昨日の夜、よっぽど部屋を訪ねようとも思ったが、それもなんか癪にさわったし、そのままずるずる今日を迎えてしまったわけだ。あんなに楽しみにしていたのに…。あれだけ僕がいろいろ話したのだから、学校やテントの場所がわからないということはありえない。昨日来た可能性もないだろう。でもクラブの連中は、誰も有紀に会ったことはないし存在さえ知らない。僕はほとんどテントを離れることはなかったが、それでも友達を案内したり食事したりで、ちょっとは留守にもしたから、運悪く僕を見つけられなかったことも考えられた。でも確率は低い。
もう3時を過ぎている。有紀は来ない。
後悔し始めていた。なにもあんなことで彼女にあたる必要はなかったんだ。自分の身勝手さを今になって悔やんだ。テントの周りの賑やかさとは逆に、どうしようもない寂しさが急に僕の中で大きくなってくる。一人だけ取り残されたような孤独感が襲ってくる。これっきり有紀に会えないんじゃないかという恐怖感さえ感じた。いてもたってもいられず、友達と待ち合わせているという言い訳をしてテントを大西たちに任せると、キャンパスの中を走って有紀の長い髪を探した。正門に立って、五日市街道からキャンパスに流れる人の波も見続けたが、あのシルエットはない。来るつもりはないんだ。もう終りだ。なんて馬鹿なことをしたんだろう…。
電気ガマ三池が正門に立っていた僕を迎えに来た。
「おまえ、あんな知り合いがいたのか? みんな大騒ぎしてるぜ。女の人が尋ねてきたよ」
胃のあたりの力がフッと抜けていく。来てくれた。
「どういう関係なんだよ? 彼女がいるなんて聞いてなかったぞ。ねぇ」
早足で歩きながら電気ガマがまとわりつくが、笑ゴマ、笑ってごまかした。走り出したかったが、努めて平静を装って、でもテントまで大きく迂回するキャンパスを通らず、古い煉瓦造りの本館の建物の中を抜けて近道をする。
「中で待っててもらってるよ」
店先で佐藤がニヤニヤ笑って僕を出迎えていた。サンキュー、って右手を少し上げて照れぎみにテントに入った。
緑さんだった。
コーラとクレープがテーブルの上に出されている。
「成功じゃない? これおいしいわ」
「ありがとうございます。緑さんのお陰です、ほんと。わざわざ今日はすいません…。あのぉ、前園と大西には会いました?」
「ここにはいなかったわ。村田君の名前しか言ってないの、お店の人たちには」
佐藤に聞いてみると、大西は親戚の人が来たとかでキャンパスを案内しているらしい。前園は行方不明。当番ではなかったし。
テントの入り口から部員がチラチラのぞいている。女子たちも2、3人でのぞいては外で大騒ぎ。でも薄い布一枚だから全部聞こえてくる。
「ウッソー、すっごい美人!
ショックだわ。なかなかムラタくんもやるわねぇ。
どこで見つけてきたのかしら?
ちょっともったいないんじゃない、彼には。キャハハハハハハ」
うるせえぞ、おまえら。どなりつけたくなる。思いっきり肩スカシをくらった格好になったし、相手が緑さんだったのも気持ちを余計複雑にした。
クレープの当番を全員呼んで緑さんを紹介する。ヤキトリの方の連中もついでに呼んだ。クレープメーカーを借りていることや、いろいろなアドバイスをもらっていることはみんな知っていたから、すぐに親しくなってテントの中はいっぺんに賑やかになる。せっかくだからキャンパスを案内することになったが、大西も前園もいない。テントを空けてしまうのもためらわれたが、かといって緑さんを粗略にもできない。この場合、彼女のホスト役はやっぱり僕しかできない仕事だった。岡村に小声で、尋ねてくる女性があったら待っててもらってくれ、と頼んだ。
「うん、OK。こないだの人だろ、サンロードの」
なんだバレてた。
「知ってたの? とにかく頼むよ」
「まかせとけって。顔見てないけど、髪長い人だろ。みんなには黙ってるからさ」
ヤキトリの煙にむせながら、岡村はウインクしてよこした。彼は僕の秘密を握っている自分の立場に酔っている感じがした。別に秘密でもないんだけど…。大丈夫かなぁ…。
緑さんはゆったりとした丈の長い紺のワンピースに、数珠のようなネックレスをたくさんつけていて、短めの茶色のブーツを履いていた。並んで歩くと僕より少し背が高い。
模擬店や展示にはあまり興味がないらしく、欅並木の中をゆっくり歩いた。
「私、スイスに行くことになったの」
「えっ。旅行ですか?」
「留学。父の知り合いの方がお世話して下さって…」
「すごいじゃないですか。大学はどうするんです?」
「迷ったけどやめることにしたわ。卒業証書が欲しいわけじゃないから」
「ふーん…。ねぇ、緑さんはどんな絵描くんですか? 難しいヤツ?」
「アンドリュー・ワイエスって知ってる?」
「いや…」
「アメリカの画家なんだけど、その人が描いた作品に『ヘルガ』ていうのがあるの。自分の奥さんのヌードを牧場かなんかの納屋で描いたものなんだけど、ヘルガがね、すごく気持ちよく描かれてるのよ」
「描かれてる?」
「そう、モデルとしてというより妻として、うーん、女性としてかな、描かれる側として気持ちよさそうなのよ。でね、私も初めはそういうふうに描かれたいと思ったの。描かれたかった。つまりモデルの方よね。あの絵はね、気持ちよく描いてくれる相手、つまりワイエスの包み込むような愛みたいなものをね、ヘルガが全身で受けてそれが表現されているのよ。私はそれがわかったの」
「……」
「残念だけど私にはそういう巡り会いがないの。ただ描かれるんじゃイヤだわ。それでね、描いてくれる人がいないんだったら、自分が描こうと思ったの。絵ってさ、テクニックじゃないのよね。『想い』だと思うわ。技術はこれからまだまだ磨けるし、勉強もしていく。でも、『想い』を表現するエネルギーは生まれながらに備わったものだと思うの。それをいつ、誰に向けて、物かもしれないけど、ぶつけていくかだと思うわ」
僕の左側を歩いていた緑さんに西日が当たり、彫りの深い横顔から光が出ているように見えた。
きれいだった。
しばらく無言で歩く。
「頑張ってください。なんか平凡だけど、それしか言えない…」
「ありがとう…。あなたはそういう絵が描ける人だと思うの。私の直感だけど…」
「僕、法学部ですよ。絵は好きだけど」
「そんなこと関係ないわ。技術じゃないのよ。知り合ったばっかりだけど感じるわ…。うーん、絵じゃないかも。でもなんか表現するものね、きっと」
「いつ行っちゃうんですか? スイス」
「来週の土曜」
「ええっ、そんなに急に!」
「むこうで従姉妹が待ってるの」
「スイスだと、ワイエスに近づけるんですか?」
「わからないわ。でもここにいたんじゃダメ。ほんとの私じゃない」
「……」
「手紙出すわ。着いたら」
「寂しくなっちゃうなあ。せっかく親しくなれたのに…。忘れないでくださいね、僕のこと」
「親愛の気持ちは時間の長さじゃないわ、私の場合。直感よ、フフッ、得意でしょ」
「ちっとも嬉しくないなあ、いなくなっちゃうんだから」
「ありがとう…」
緑さんは首にいくつもかけていたネックレスを一つはずすと僕にくれた。形のまちまちな青緑の石が10個程つないである。けっこう重い。
「私が作ったの。お守りみたいなものだったわ。大事にしてね」
「そんな大切なもの、いいんですか?」
「分身を日本に置いておきたいの。あなたが持ってて」
「はい…」
緑さんは賑やかな正門を避けて、キャンパスの裏手から帰っていった。夕暮れの薄闇に紺のワンピースが溶けて見えなくなるまでずっと見送っていた。彼女の姿を包み込んだ住宅街はところどころに明りがつきはじめていたが、シンとしていて何事もなかったようにいつもの夜を迎えようとしている。
元気で…、緑さん。
この時間になると、各テント、サークルは自分たちの世界に入っていく。要するに打ち上げコンパがそこらじゅうで始まるのである。これが楽しみだった連中も多いだろう。でも、そこをもう一つひねるのが僕の新骨頂。青木主将に直接了解をもらって、我がクラブは独自の態勢を取った。
コンパ用の営業である。3時ぐらいから各テント、サークルを廻って、打ち上げコンパ用ヤキトリの予約を取りに走らせた。キャンパス内の他のテントはだいたい5時ぐらいには営業を切り上げ、ドンチャン騒ぎの態勢に突入していく。
これが当たった。人形劇様30本、広告研究会様50本、書道部様60本、グリークラブ様40本…。こんなもんじゃない。体育会野球部様200本、体育会アメフト様250本、体育会ラグビー部様300本…、もうドカドカである。焼くほうが間に合わない。狭いバーナーの周りに5人で張り付いて、生焼けもなんのその、(一度ボイルしてある肉だったからたぶん大丈夫だと思うが…)流れ作業で注文をさばいていく。文化系の50、60本には真面目に数えていたが、200本を超えてくるとまともにやっていられない。20、30本の誤差はあったろう。もちろん少ないほうでね。
配達をやった連中もお調子者ぞろいだったから、前園なんか、アメフトへ行って、
「お待たせしました。ウチもこれでおしまいですから、20本サービスしときましたあ」
大男たちの集団はすでにベロベロ状態。ヨッシャ、ヨッシャ大喜びで、イッキ飲みをやらされた上にウィスキーのボトル一本もらって返ってきた。もちろんお金はしっかりもらっている。しかもツリはいいだって。
これで儲からないはずがない。お金の管理は2年生の中橋さんが一人で担当していた。先輩は初日からの集計を毎日まめにやっていたが、具体的な数字は教えてくれなかった。僕は、二日目に「赤字になることはないだろう」と言われて安心してしまい、最終の収支の事なんか頭からスッポリ抜けていた。コンパ用の焼きが終わりかけ、中橋さんは近くにいた岡村と僕を、クッキーのブリキ缶大金庫に呼んだ。
「約70だな」
「70って『万』ってことですか?」
「そうだ。まだ全部閉めてみないとわからないが、確実に超すだろう」
「ええっ、ウッソー! そんなに儲かったんですか?」
「バカ、売り上げだ。それでも30は確実に儲かってるな」
中橋さんは低い声で淡々と話してくれた。が、嬉しそうに
「やったな。おまえらよくやったよ」
と言って目を細めた。
他のテントに遅れること約2時間で、アッチェリアと洋弓乃瀧の打ち上げ大コンパが始まった。男女全員集合すると60名を超す大所帯は、もちろんテントには入りきれない。溢れ出た僕たちは店の前のコンクリートに円陣を作って始まりを待つ。コンパとはいえ、空手部程ではないが、ウチも体育会の端くれ、1年が気をつかう宴会に変わりはない。先輩たちのペースで宴は仕切られる。
中橋さんからの報告が、青木さんから全員に伝えられるとドッと歓声が上がった。
「1年よくやった。今日はおもいっきり飲め!」
拍手が巻き起こる。4日間鼻についたヤキトリの匂いも、自分たちで味わうと苦にならなかったし、『歌舞伎』と『歌麿』もおいしかった。他のテントに遅れること2時間、おあずけをくっていた宴会は、アルコールをハイペースで消費していき、全員をただの陽気なおにいちゃんとおねえちゃんに変えていく。力が抜けて行った。
「村田!」
誰かが叫んだ。端の方にいた僕はテントの前に押し出された。
「おう、なにやってんだ、おまえら」
三上さんの一言で、みんなに取り囲まれたと思ったら次の瞬間には体が宙に浮いていた。2回、3回と高く放り上げられながら、涙が止まらなかった。顔はクシャクシャ。カッコワリイ…。
その頃のキャンパスには、もう秩序は存在しない。見たこともないヤツが、大騒ぎでウチのテントにいると思えば、岡村は二つ隣のテントでヘソ踊りをやっているという具合。入り乱れ、はしゃぎまくりで、誰がどの、という区別をすること自体無意味だった。みんな友達だァ!
僕はというと、ヘロヘロになりながら握手をしまくっていた。最初はクラブの連中、先輩に涙ボロボロ流しながらしつこいぐらいにやっていたが、しまいにはとにかく近くにいたヤツとは誰彼なく手を握った。
嬉しかった。
いっきにはじけすぎてクタクタになり、テントのすぐ後ろの図書館の低い階段に腰掛けて休んだ。僕達のテントはまだ大騒ぎで、みんなで『勝手にシンドバッド』をどなっている。なにも考えていなかった。
「やったね」
白い細い手が差し出され、とっさに無意識で握った。
有紀だった。
泣いている。離さずに強く握り返した。
「ずっと見てたわ。あんなあなた見るの初めて…」
「いつから?」
「きれいな人と歩いていたでしょ…」
「ああ、お店助けてくれたんだ。あの人のおかげなんだ、うまくいったのは」
「私、ずっと一人でいたでしょ」
「ごめん」
「ううん、そうじゃなくて。 男の人に声かけられちゃって。どうしようかと思ったわ」
「凄いじゃん。僕の目に狂いはなかったってことだ」
「バカ。少しは心配してよ」
涙声だったがいつもの調子に戻ってきた。
「歩こう」
キャンパスの東側、桜並木をゆっくり歩いた。コツコツとヒールの音が響く。
「スカート似合うよ。でもずいぶん短いね」
「普通よ。ほんとは人に見せたくないからそう思うんじゃないの。また生意気言っちゃった?」
「正解! 見せたくない。ヘヘェ」
「ねぇ、踊りに行こ。なんか聞こえるわ」
アメフトが工学部のピロティをベニヤで囲ってディスコをやっていた。でも、もう終らしい。入り口には誰もいなくて、ただで入れた。中に入ると暗闇に大勢ひしめいて盛り上がっている。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのセプテンバーが終りかけていて、たぶんこれがラストソングだろう、切れ目なくスローバラードが始まった。
「ねぇ、この曲は?」
「…マイケル・ジャクソン。
タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」
完
クレープは、自宅組のお中元・お歳暮のジャムをかき集め、焼いた生地にそれを塗って三角にたたみ紙ナプキンにくるんで一枚200円。原料のパンケーキミックスは、部員で、家がスーパーをやっている川上さんからの寄付ですべてタダ。買うのは牛乳だけ。だからほとんど原価がかからない。店はハンバーガーショップのパロディ路線でいっていたので、女子部員のかわいいのを優先的に、全員に黄色のトレーナーを着せて統一しカウンターに配置した。オレンジの色画用紙で作った帽子を頭にちょこんと乗せて、
「いらっしゃいませ、アッチェリアへようこそ!」
で、マニュアルもパロった。女の子もノリノリで、華やかな、にぎやかな一角がキャンパスに出現した。ちなみに、女子の洋弓部は総勢25名で、普段の練習や運営は男子とは別に独立してやっている。ただ同じ競技だし施設も共有しているので、合宿やこういう行事は合同でやるのだ。
めずらしさも手伝ってスタートから好調だ。偵察隊を出して他のテントの状況を調べたが、我々意外にクレープをやっているところはない。とりあえず安心だ。
ヤキトリの方がスタートはパッとしなかった。考えてみれば当然で、昼間からヤキトリくわえて一杯というものでもない。ようやく3時ごろからぼちぼち動き出す。クレープは店先で売るだけだが、洋弓乃瀧は、テントの中に席があり、いわゆる居酒屋のスタイルをとった。白い木綿に墨で大きく『洋弓乃瀧』と書いたのぼりをたてて、手ぬぐいでハチマキをした1年の男子が「焼き」を交代で担当。これが案外おもしろくて、先輩たちが俺にもやらせろとバーナーの後ろに割り込んだりもした。煙モクモク、タレをつけて焼く匂いはたまらない。ウチワでパタパタやって周りの人ごみに匂いを振りまける。これが結構効果があって、つられて買ってしまう人がいたりもする。ヤキトリは1皿4本で200円。ビールと日本酒も出す。原価は一本15円、4本で60円。クレープよりはかかるがそれでもずいぶん安い。それにアルコールの儲けでそこそこいくだろう。不安はあったがこっちもまずまずだった。
ただ夢中で初日が終わった。今日、青木さんは部屋に来ない。すっかり忘れていたが、そう考えるといっぺんに時間が余ったようでヒマになってしまった。そうだ、有紀に頼まれていたレコードを録音してやろう。後片付けもそこそこに、テープを駅ビルで買ってから、いつもの定食屋でショウガ焼きをかきこんで、飛ぶように部屋へ帰った。頼まれたアルバムの録音は、デッキをセットしてターンテーブルに針を落とせばおしまいだから単純。でもそれはそれ。もう一本は僕の思い入れを込めたスペシャルバージョンのベストテープを作ってやろう。レコードとテープを机の上にガラガラ広げると、曲の組み合わせをあれこれ考え始めた。みるみる自分の世界に入ってしまう。
この曲さえ聞いていればご飯もいらない。この曲は寝る前に必ず聞く。聞く度にせつなさで涙が出そうになる曲。朝、目覚めに聞きたい曲。落ち込んだらこの曲。あこがれの西海岸の映像が浮かんでくる曲。思わず体が勝手に動きだしてしまう曲。二人っきりで聞きたい曲…。音楽はその当時、僕にとってただの『ミュージック』ではなかった。生活の一部、いや大半だったかもしれない。重要な精神の柱であり、オアシスだった。あこがれを膨らますものであり、想像力をかきたてるエネルギーでもあった。そういう、僕の精神にとってきわめて重要な位置を占める音楽を自分以外の人に選んで聞かせようとするのは、同じ波長の感動を共有したいと強く思うからだ。感動の共有ほど精神を満足させるものはないと思っている。好きな曲は一緒に好きになってね、ということ。テープを送りたくなるかならないかは、僕にとって女性に対しての好感度のバロメーター。ベストテープを作るということは、その最上級の表現だったのだ。ただのダビングとは「志」が違うんだ。
アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ダイアナ・ロス、ドゥービー・ブラザース、イーグルス、ロビー・デュプリー、トニー・シュート、ジム・フォトグロ、トト、スタッフ、クール・アンド・ザ・ギャング、マイケル・ジャクソン、エアプレイ、クリストファー・クロス、J.D.サウザー、ランディー・バンウォーマー、スーパートランプ、ジャニス・イアン、シーナ・イーストン、クイーン、ジョージ・ベンソン、アール・クルー、ボブ・ジェイムス、ハーブ・アルパート、ドナ・サマー、スティービー・ワンダー、シカゴ、リンダ・ロンシュタット、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、デビッド・フォスター、アベレージ・ホワイト・バンド、ブラザース・ジョンソン、ボストン、エレクトリック・ライト・オーケストラ、ボビー・コールドウェル、カラパナ、デイブ・グルーシン、チャック・マンジョーネ、エア・サプライ、オリビア・ニュートンジョン、ケニー・ロジャース、ボズ・スキャッグス、スリー・ディグリーズ、ステックス、ビリー・ジョエル、ルパート・ホルムズ、ティモシー・シュミット、サンタナ、リー・リトナー、ポインター・シスターズ……、想いは尽きない。
テープが完成したのは2時を過ぎていた。気持ちがたかぶって、いてもたってもいられず、有紀に電話する。あの声が聞きたかった。でも、ベルを鳴らし続けたが出る気配がない。横浜へ帰っているのかもしれないな。空振して、話したい気持ちが余計高まってイライラしてくる。青木さんが来なくなったことはまだ伝えてなかったから、いないことを理由に有紀は攻められない。でもとにかく話したかった。時間が時間だけに横浜にかけるわけにはいかない。あきらめよう…。しかたなくお風呂に入って布団にもぐり込むが、ますます頭が冴えて寝つけない。
まいったな。まあ、しょうがないかぁ…。でも、誰かとしゃべりたいなぁ。
『…そうだ、クミさんに電話してみようかな。でもちょっと大胆かな? ずうずうしいかな? でも、番号までわざわざ教えてくれたんだから…。第一僕のこと覚えてるかな? どうしよう…」
迷いに迷ってもう時間は3時近い。向こうは僕の名前も住所も知らないんだ。ダメモトでかけてみるか…。とにかく誰かと話したい。もらった名刺の番号を恐る恐るダイヤルした。3、4回の呼び出し音ですぐにつながる。
「もしもし」
聞き覚えのない声だ。しまった、とビビッて言葉が詰まりそうになるが、かけたからには後に引けない。
「あの、クミさんいらっしゃいます?」
「私だけど…」
「エッ。あの、僕のこと覚えてます? 昨日名刺もらった…、あの、学生二人で」
「ああ、あの。声が…、そうよね、どなってしゃべってたもんね。違うよねぇ。ほんとに電話くれたの」
「すいません、夜遅く。迷ったんだけどなんか、かけちゃいました」
「こんなにすぐにかかってくるとは思わなかったわ。元気?」
「ええ。なんか軽いでしょ、簡単に電話しちゃうなんて」
「なに言ってんのよ。かけてほしいから教えたんじゃないの。ありがとう。ねぇ、それよりあなたの名前聞いてなかったわ。教えたくなかったらいいけど、知りたいなぁ」
「村田です。べつにまずくないです。クミさんちの近くの学校ですよ」
「なぁんだ、町内会じゃない。ムラタくんか。イメージ合うね」
恐る恐る始まった会話は、昨日のクミさんとはちょっと感じが違っていたが、不思議にすらすら自分のことを話してしまい、彼女もそれをちゃんと聞いてくれた。
「ねぇ、クミさん。好きな人いるの?」
「きたな、いきなり。今はいないわ。いたけどね……。でも楽しくやってるよ、好きなことやってね。好きな人できたらやめるわ、この仕事。…ねぇ、ムラタくんは今恋してるんでしょ? 違う?」
「どうして?」
「わかるわよ。こんなこと聞いてくるんだもん。なんかあったの? 彼女と」
「いや、なにも。ただ、彼女のことを今まで好きになった人よりずっと好きというか、『好き』の中味が違うって感じなんです。それが苦しいっていうか、どうそれを相手に伝えたらいいのかなあって」
「せつない話ね。私なんかには、どうしたらいいかわかんないわ。あなた正直そうだし。なにもしなくたって伝わるわよ。男と女って難しく考えないほうがいいみたい。好きならそれでいいじゃない。これ答えになってないね」
「いや、それはいいんです。ただ話がしたくて…」
「ねぇ、ムラタくんどこに住んでんの?」
「井の頭公園の近くです」
「なぁんだ、近所じゃない。ねぇ飲みに行こっか?」
「うん、都合のいい時に誘ってください」
「朝までやってるとこ知ってるもん、行こっ」
「えっ、これから?」
「だめぇ?」
「いや、いいけど…」
「明日学校? あたしは、どうせお昼近くまで寝てるから平気なのよ。普通の人達とは生活のリズムが違っちゃってるから…。でも勉強の邪魔しちゃ悪いわ。無理だったらいいの。ごめんなさいね」
「いいよ、行きましょう。いま学校は文化祭で講義ないんです。お祭りだから…」
南口の小さなスナックでクミさんに会った。ジーンズに白のボタンダウン、ストーンウォッシュの皮ジャンバーだけのシンプルでボーイッシュな格好。昨日は暗かったし、場所が場所だから気がつかなかったが、丸顔に薄化粧をしたクミさんは、なかなかチャーミングで、とてもあの店にいるイメージはなかった。最初の出会いがまあ特殊だったし、昨日の今日なので初めは照れくさかったけど、ある意味これ以上ないところまでさらけだして見せてしまっていたわけだから、開き直りというか、安心感みたいなものがあって、一杯目の水割をあける頃にはなんでも話せる気がしていた。有紀とのことはそこそこに、クラブのこと、父との確執、母の健康の不安など、有紀には話していない、ありのままの裸に近い自分を聞いてもらった。クミさんは、うんうん、うなずくだけで僕が一方的にしゃべっていたのだけど、その、うんうん、のタイミングがとても小気味よくて、胸に熱くくすぶっていた塊みたいなものが、スッと溶けていくような感じがした。
早朝、駅へ急ぐ人たちが数を増してきた。朝のあわただしさがこれから始まる。バスが止まる度に着膨れた人達がはきだされ駅に吸い込まれていく。この一日の始まりの空気を、晴れやかに気持ちよく呼吸できたのはクミさんのおかげだ。帰って寝るだけよ、と手を振ってさっき別れた彼女と過ごした時間は、まるでリアルな夢を見ていたような感覚だ。また会いたくなる。
まさに朝帰り。部屋に着いたのは、まだ7時をちょっと過ぎたぐらいだ。家庭を持ったらこんなのは由々しき事なんだろうな。でも、あまりにも遠い話で現実感がなくピンとこないが…。今日は9時までに学校に集合すればよかったので、少しゆっくりできる。優雅に朝風呂とまいりますか。しゃべり過ぎた疲れとアルコールの残りもあってなんとなく体がふわふわしていた。昨日作ったテープを流しながら熱めのお湯に体を沈め、明け方の会話を頭の中で反芻する。有紀の顔、クミさんの顔、緑さんの顔が浮かんでは消え、それぞれの声や笑いが耳の奥で鳴っている。三人はそれぞれ一面識もなくこれからも会うことはないだろう。僕という小さなありふれた人間がそれぞれをつないで、小さな宇宙を作っている。でもこの宇宙の深さや奥行きの神秘さは、僕にしかわからない。三人の取り合わせのすばらしさは、誰にもその本当の所は理解はできないだろう。しかもそれはこの瞬間だけのものであり、永遠に続くわけではない。今のバランスが、今すばらしいんだ。有紀は僕が今こんなことを考えていると知ったら泣くかもしれない。わかってもらえないかもしれない……。僕は気が多すぎるのだろうか? 一途さに欠けるのだろうか?誠意がないと言われるだろうな。不真面目なのかもしれない。
電話が鳴っていた。こんな早くから誰だろう? あわてて体を拭いて出たものだから、部屋は滴だらけになってしまう。
有紀だった。
「寝てた? 先輩近くにいるの?」
「いや、来ないことになったんだ。おとといの一晩だけで。どうしたの? こんな早く」
「朝じゃないとどっか行っちゃうでしょ、集合があるとか言って。なぁんだ、じゃ一人ね。気遣って損した! 一応心配してあげたのよ、襲われたんじゃないかと思ってさ」
「ちょっと待ってて。今裸なんだ。寒くてカゼひいちゃうよ。ちょっと待って」
「なによ、こんな時間から。なにやってたの?」
「フロだよ、フロ。ちょっとタイム」
急いで体の滴を拭き取ってトレーナーの上下を着ると、コタツのスイッチを入れて首まで潜り込む。ひっくり返って、シミだらけの天井を眺めながら受話器を耳にあてた。
「ごめんごめん」
「ねぇ、お店うまくいった? 体育会さん」
「どっから電話してんの?」
「ウチ。横浜に帰ってるの。家だとこんな時間に起きなきゃなんないのよ。久しぶりに娘の顔見せて安心させて、ついでにゴマすっといたのよ、おこずかい稼ぎにネッ。へへぇ。ああ眠い」
「平和だな」
「なによ、なんかトゲあるわねぇ。あなただって朝からお風呂なんか入って贅沢してるじゃない」
「用事はなんだよ」
「なによぉ、そんな言い方ないでしょ。…文化祭、案内してくれるんでしょ。行ってもいいんでしょ、
ねぇ。なんかあったの? もしかしてほんとに襲われちゃったの?」
「バカ」
「なによぉ、心配してんじゃないの。ずいぶんご機嫌斜めねぇ。ユキちゃんが恋しいんじゃない?」
キレた。
受話器を耳に当てたまま左手でダイヤルの上の白いフックを無造作に押した。有紀がなにか言いかけたが、ツーの発信音に変わって途切れる。
激怒した訳ではない。クミさんのあの、うんうん、が頭から離れず、それに比べ有紀の無邪気さが腹立たしかった。なんの不自由もなく伸び伸びと育った彼女に罪はない。だけどそのことが今この瞬間にはトゲに思えた。自分のことは棚に上げて…。
9時の集合にすべり込むと、祭の二日目は昨日と同じようにスタートした。
一睡もしていないのに夕方まで緊張を維持することができるだろうか。案の定、3時頃から頭がボーッとしてきて立っているのが辛くなってきた。でもみんな持ち場に慣れてきて、僕としては特別心配はなかったのだが…。
洋弓乃瀧にはちょっとしたカラクリがあった。昨日営業をスタートさせた時点で、OBから『菊政宗』と『剣菱』の一升瓶がそれぞれ一本づつ差し入れられた。酒飲みにはどちらも名の通ったお酒で、買えば2千円前後したはずだ。ところが所詮学生のお遊びの悲しさ、僕たちはヤキトリの本数をさばくことしか頭になく、お酒の確保などは計算外で、二升の日本酒は初日のうちにアッという間になくなり、かといって大量に仕入れるリスクを背負うわけにもいかず一時は販売をあきらめかけた。しかし、ヤキトリ屋に日本酒がないというのは通用しない。あわてて正門の横の酒屋に駆けこんだところ、『歌舞伎』と『歌麿』という外人に受けそうな名前の二級酒があり、これがなんと一本700円。もちろん一升瓶でだ。ここで思いついたのが「スプライト・三ツ矢サイダー方式」。これはナイスとその二級酒を買ってきて、『菊政宗』の空瓶には『歌舞伎』を、『剣菱』の空瓶には『歌麿』をジョウゴを使って入れる。それぞれ紙コップ一杯200円で売り、安い!と評判もよかった。
図に乗った。
夕方、角刈り学生服下駄履きという7、8人の集団が店に入ってきた。体育会空手部御一行様である。ウチの2年の先輩の友達が空手部にいるとかでお越し戴いたらしい。ここの部の上下関係の凄まじさは、我がクラブの比ではない。1年奴隷、2年平民、3年幹部、4年神様なのだ。1年は4年生に直答を許されていないとも聞いている。花の応援団を地でいっていたらしい。とにかく凄いのである。その時僕は当番ではなかったが、テントの奥でビールの空瓶を片付けていた。
額に剃りの入った小柄な学生服が4年生らしかった。その先輩が座るまでみんな直立不動で、残りが一斉に座った後も誰も一言も口をきかない。張り詰めた空気が漂っている。
たぶん3年だろう。先に座った4年生に、
「先輩。なにを召し上がりますか?」
「うーん。ヤキトリでももらうか」
ウチはヤキトリしかありましぇーん。…この時はまだ余裕があった。
「酒はどういたしましょうか」
「なにがあるんだ?」
「オッス。オイ、1年聞いてこい」
「オッス」
手を伸ばせば届きそうな距離を、背骨に鉄筋でも入っていそうな姿勢でヒョロッと背の高い1年がカウンターまで聞きに来る。この狭いテントの中で…、聞こえてますって…。その時の当番は岡村。繰り返された質問に堂々と、
「『菊政宗』と『剣菱』をそろえております。ビールはキリンです、ハイ」
背の高い鉄筋入りは元に戻ると同じことを3年に向かって繰り返す。めんどくせぇの。
「『菊政宗』と『剣菱』、ビールはキリンだそうです。ポン酒にこだわる先輩にはなかなかの取り合わせですね」
3年が4年の顔色をうかがうように言った。エッ、ポン酒にこだわる?
「そうだな、『剣菱』か。いい酒だ。それをもらうか」
「オッス。あの、酒はどうします? 燗してもらいますか?」
「ん、そうだな。せっかくのいい酒だ。燗にするのはもったいない。冷でいい。ん、それとちょぼちょぼ出すな、瓶ごともらっとけ」
「オッス」
スッと血の気が引いていく。これはヤバイ。1年がさっきとおんなじことをまた繰り返して注文にきた。
「あのぉ、瓶ごとだと2千円になりますが…」
岡村もビビッていたらしく、声がうわずっていたし一升瓶を渡す手も少し震えていた。
中味が『歌麿』の『剣菱』は、うやうやしく1年奴隷に抱えられ4年神様の紙コップに注がれた。気が気ではない。タイミングよくヤキトリも焼けてテーブルに届けられた。事情を知っている店の当番全員は逃げ腰である。
神様がコップの中味を一口飲んだ…。
「うーん。ん……、さすが『剣菱』だ。うん、おまえらも自由にやれ」
「オッス。いただきます」
神様は満足そうにヤキトリを一串ほおばった。奴隷たちは一升瓶を持って酒をついでまわっている。
「オッス。いただきます」
「オッス。いただきます」
「オッス。いただきます」
判で押したように、学生服の一団がコップ酒をあおり始めた。やれやれ。しかし、相変わらず会話はなく、空気は張り詰めている。どこが楽しいのだろう?
「1年! 歌でも歌え!」
3年が命じている。
「オッス」
一番端にいた、がっしりした色の黒いのが立ち上がり、真直ぐ前を見据えていきなり歌い出す。
「♪ 一つ出たホイのヨサホイのホイ、一人娘とやる時にゃ、親の承諾得にゃならぬ ♪
♪ 二つ出たホイのヨサホイのホイ、双子の女とやる時にゃ、姉の方からせにゃならぬ ♪
♪ 三つ出たホイのヨサホイのホイ、醜い女とやる時にゃ、顔を隠してせにゃならぬ ♪ 」
3年と4年3人がそれぞれ飲んだり、タバコをふかしたり自由にやっていて、残りの1、2年は手拍子をしている。いやいや、あり得ない話だが、空手部に入らなくてよかった。ついていけましぇーん。
歌は続く。
「♪ 四つ出たホイのヨサホイのホイ、夜の女とやる時にゃ、金の心配せにゃならぬ ♪
♪ 五つ出たホイのヨサホイのホイ、いつもの女とやる時にゃ、手を変え品変えせにゃならぬ ♪
♪ 六つ出たホイのヨサホイのホイ、昔の女とやる時にゃ、思い出し出しせにゃならぬ ♪
♪ 七つ出たホイのヨサホイのホイ、夏に女とやる時にゃ、汗をふきふきせにゃならぬ ♪
♪ 八つ出たホイのヨサホイのホイ、ヤクザの女とやる時にゃ、覚悟しながらせにゃならぬ ♪
♪ 九つ出たホイのヨサホイのホイ、濃い女とやる時にゃ、かきわけかきわけせにゃならぬ ♪
♪ 十出たホイのヨサホイのホイ、隣の女とやる時にゃ、まわりきょろきょろせにゃならぬ ♪」
「オイ、おまえ。名前はなんだ」
「オッス。山口です」
「いい声だ。飲め」
「オッス。頂戴します」
1時間ぐらいいた御一行様は、もう一本の『剣菱』(この頃には僕たちはかなり大胆になっていて、しばらくお待ちください、と空瓶を回収すると、テントの裏で詰め替えをしてそれを出したのだ)を空にするとかなりよっぱらって機嫌よく出て行った。なんとかなるものだ。みんなで顔を見合わせて大笑いした。オッス!
二つの店は順調に売り上げを伸ばしている。クレープの方はその場で作っていたのでは間に合わず、女子部室で作りだめをしておいて、店先では暖めてジャムを塗るだけにした。こうすると回転がかなり違う。飛ぶように売れた。ヤキトリも店頭だけでなく、焼いたものを自転車の荷台に乗せてキャンパスの中を部員に行商させる。一回に50本ぐらいをノルマにしても、二人一組で構内を一周するとほとんどさばけてしまう。担当だったとはいえ1年の男女18名全員の、義務を超えた協力があったからで、またみんなおもしろがってやった。岡村なんかはヤキトリの売り場からほとんど離れず、お昼にはセブンイレブンでご飯だけを2パック買ってきて、その上に串からはずしたヤキトリにタレをかけて、うまい、うまいと毎日やっていた。
有紀とのことはそれまで忘れていた。そういえば今朝やっちゃったんだ。アイツいつ来るつもりなんだろうな?まさか今日は来ないだろう。まぁいいか…。
テントは部員の友達や家族が入れ替わり立ち替わりで、人が途切れることがないまま三日目も終り、今日が最終日、フィナーレである。今日もクラスの悪友たちや、学習院、成城といった仲のいい大学の連中も次々に来てくれて賑やかさは増すばかり。嬉しい忙しさだった。
おとといの夜から電話をし続けているが、有紀に連絡は取れなかった。横浜にも電話は入れてみたが、お母さんが出て、あの口喧嘩の日のお昼には高井戸に戻ったという。昨日の夜、よっぽど部屋を訪ねようとも思ったが、それもなんか癪にさわったし、そのままずるずる今日を迎えてしまったわけだ。あんなに楽しみにしていたのに…。あれだけ僕がいろいろ話したのだから、学校やテントの場所がわからないということはありえない。昨日来た可能性もないだろう。でもクラブの連中は、誰も有紀に会ったことはないし存在さえ知らない。僕はほとんどテントを離れることはなかったが、それでも友達を案内したり食事したりで、ちょっとは留守にもしたから、運悪く僕を見つけられなかったことも考えられた。でも確率は低い。
もう3時を過ぎている。有紀は来ない。
後悔し始めていた。なにもあんなことで彼女にあたる必要はなかったんだ。自分の身勝手さを今になって悔やんだ。テントの周りの賑やかさとは逆に、どうしようもない寂しさが急に僕の中で大きくなってくる。一人だけ取り残されたような孤独感が襲ってくる。これっきり有紀に会えないんじゃないかという恐怖感さえ感じた。いてもたってもいられず、友達と待ち合わせているという言い訳をしてテントを大西たちに任せると、キャンパスの中を走って有紀の長い髪を探した。正門に立って、五日市街道からキャンパスに流れる人の波も見続けたが、あのシルエットはない。来るつもりはないんだ。もう終りだ。なんて馬鹿なことをしたんだろう…。
電気ガマ三池が正門に立っていた僕を迎えに来た。
「おまえ、あんな知り合いがいたのか? みんな大騒ぎしてるぜ。女の人が尋ねてきたよ」
胃のあたりの力がフッと抜けていく。来てくれた。
「どういう関係なんだよ? 彼女がいるなんて聞いてなかったぞ。ねぇ」
早足で歩きながら電気ガマがまとわりつくが、笑ゴマ、笑ってごまかした。走り出したかったが、努めて平静を装って、でもテントまで大きく迂回するキャンパスを通らず、古い煉瓦造りの本館の建物の中を抜けて近道をする。
「中で待っててもらってるよ」
店先で佐藤がニヤニヤ笑って僕を出迎えていた。サンキュー、って右手を少し上げて照れぎみにテントに入った。
緑さんだった。
コーラとクレープがテーブルの上に出されている。
「成功じゃない? これおいしいわ」
「ありがとうございます。緑さんのお陰です、ほんと。わざわざ今日はすいません…。あのぉ、前園と大西には会いました?」
「ここにはいなかったわ。村田君の名前しか言ってないの、お店の人たちには」
佐藤に聞いてみると、大西は親戚の人が来たとかでキャンパスを案内しているらしい。前園は行方不明。当番ではなかったし。
テントの入り口から部員がチラチラのぞいている。女子たちも2、3人でのぞいては外で大騒ぎ。でも薄い布一枚だから全部聞こえてくる。
「ウッソー、すっごい美人!
ショックだわ。なかなかムラタくんもやるわねぇ。
どこで見つけてきたのかしら?
ちょっともったいないんじゃない、彼には。キャハハハハハハ」
うるせえぞ、おまえら。どなりつけたくなる。思いっきり肩スカシをくらった格好になったし、相手が緑さんだったのも気持ちを余計複雑にした。
クレープの当番を全員呼んで緑さんを紹介する。ヤキトリの方の連中もついでに呼んだ。クレープメーカーを借りていることや、いろいろなアドバイスをもらっていることはみんな知っていたから、すぐに親しくなってテントの中はいっぺんに賑やかになる。せっかくだからキャンパスを案内することになったが、大西も前園もいない。テントを空けてしまうのもためらわれたが、かといって緑さんを粗略にもできない。この場合、彼女のホスト役はやっぱり僕しかできない仕事だった。岡村に小声で、尋ねてくる女性があったら待っててもらってくれ、と頼んだ。
「うん、OK。こないだの人だろ、サンロードの」
なんだバレてた。
「知ってたの? とにかく頼むよ」
「まかせとけって。顔見てないけど、髪長い人だろ。みんなには黙ってるからさ」
ヤキトリの煙にむせながら、岡村はウインクしてよこした。彼は僕の秘密を握っている自分の立場に酔っている感じがした。別に秘密でもないんだけど…。大丈夫かなぁ…。
緑さんはゆったりとした丈の長い紺のワンピースに、数珠のようなネックレスをたくさんつけていて、短めの茶色のブーツを履いていた。並んで歩くと僕より少し背が高い。
模擬店や展示にはあまり興味がないらしく、欅並木の中をゆっくり歩いた。
「私、スイスに行くことになったの」
「えっ。旅行ですか?」
「留学。父の知り合いの方がお世話して下さって…」
「すごいじゃないですか。大学はどうするんです?」
「迷ったけどやめることにしたわ。卒業証書が欲しいわけじゃないから」
「ふーん…。ねぇ、緑さんはどんな絵描くんですか? 難しいヤツ?」
「アンドリュー・ワイエスって知ってる?」
「いや…」
「アメリカの画家なんだけど、その人が描いた作品に『ヘルガ』ていうのがあるの。自分の奥さんのヌードを牧場かなんかの納屋で描いたものなんだけど、ヘルガがね、すごく気持ちよく描かれてるのよ」
「描かれてる?」
「そう、モデルとしてというより妻として、うーん、女性としてかな、描かれる側として気持ちよさそうなのよ。でね、私も初めはそういうふうに描かれたいと思ったの。描かれたかった。つまりモデルの方よね。あの絵はね、気持ちよく描いてくれる相手、つまりワイエスの包み込むような愛みたいなものをね、ヘルガが全身で受けてそれが表現されているのよ。私はそれがわかったの」
「……」
「残念だけど私にはそういう巡り会いがないの。ただ描かれるんじゃイヤだわ。それでね、描いてくれる人がいないんだったら、自分が描こうと思ったの。絵ってさ、テクニックじゃないのよね。『想い』だと思うわ。技術はこれからまだまだ磨けるし、勉強もしていく。でも、『想い』を表現するエネルギーは生まれながらに備わったものだと思うの。それをいつ、誰に向けて、物かもしれないけど、ぶつけていくかだと思うわ」
僕の左側を歩いていた緑さんに西日が当たり、彫りの深い横顔から光が出ているように見えた。
きれいだった。
しばらく無言で歩く。
「頑張ってください。なんか平凡だけど、それしか言えない…」
「ありがとう…。あなたはそういう絵が描ける人だと思うの。私の直感だけど…」
「僕、法学部ですよ。絵は好きだけど」
「そんなこと関係ないわ。技術じゃないのよ。知り合ったばっかりだけど感じるわ…。うーん、絵じゃないかも。でもなんか表現するものね、きっと」
「いつ行っちゃうんですか? スイス」
「来週の土曜」
「ええっ、そんなに急に!」
「むこうで従姉妹が待ってるの」
「スイスだと、ワイエスに近づけるんですか?」
「わからないわ。でもここにいたんじゃダメ。ほんとの私じゃない」
「……」
「手紙出すわ。着いたら」
「寂しくなっちゃうなあ。せっかく親しくなれたのに…。忘れないでくださいね、僕のこと」
「親愛の気持ちは時間の長さじゃないわ、私の場合。直感よ、フフッ、得意でしょ」
「ちっとも嬉しくないなあ、いなくなっちゃうんだから」
「ありがとう…」
緑さんは首にいくつもかけていたネックレスを一つはずすと僕にくれた。形のまちまちな青緑の石が10個程つないである。けっこう重い。
「私が作ったの。お守りみたいなものだったわ。大事にしてね」
「そんな大切なもの、いいんですか?」
「分身を日本に置いておきたいの。あなたが持ってて」
「はい…」
緑さんは賑やかな正門を避けて、キャンパスの裏手から帰っていった。夕暮れの薄闇に紺のワンピースが溶けて見えなくなるまでずっと見送っていた。彼女の姿を包み込んだ住宅街はところどころに明りがつきはじめていたが、シンとしていて何事もなかったようにいつもの夜を迎えようとしている。
元気で…、緑さん。
この時間になると、各テント、サークルは自分たちの世界に入っていく。要するに打ち上げコンパがそこらじゅうで始まるのである。これが楽しみだった連中も多いだろう。でも、そこをもう一つひねるのが僕の新骨頂。青木主将に直接了解をもらって、我がクラブは独自の態勢を取った。
コンパ用の営業である。3時ぐらいから各テント、サークルを廻って、打ち上げコンパ用ヤキトリの予約を取りに走らせた。キャンパス内の他のテントはだいたい5時ぐらいには営業を切り上げ、ドンチャン騒ぎの態勢に突入していく。
これが当たった。人形劇様30本、広告研究会様50本、書道部様60本、グリークラブ様40本…。こんなもんじゃない。体育会野球部様200本、体育会アメフト様250本、体育会ラグビー部様300本…、もうドカドカである。焼くほうが間に合わない。狭いバーナーの周りに5人で張り付いて、生焼けもなんのその、(一度ボイルしてある肉だったからたぶん大丈夫だと思うが…)流れ作業で注文をさばいていく。文化系の50、60本には真面目に数えていたが、200本を超えてくるとまともにやっていられない。20、30本の誤差はあったろう。もちろん少ないほうでね。
配達をやった連中もお調子者ぞろいだったから、前園なんか、アメフトへ行って、
「お待たせしました。ウチもこれでおしまいですから、20本サービスしときましたあ」
大男たちの集団はすでにベロベロ状態。ヨッシャ、ヨッシャ大喜びで、イッキ飲みをやらされた上にウィスキーのボトル一本もらって返ってきた。もちろんお金はしっかりもらっている。しかもツリはいいだって。
これで儲からないはずがない。お金の管理は2年生の中橋さんが一人で担当していた。先輩は初日からの集計を毎日まめにやっていたが、具体的な数字は教えてくれなかった。僕は、二日目に「赤字になることはないだろう」と言われて安心してしまい、最終の収支の事なんか頭からスッポリ抜けていた。コンパ用の焼きが終わりかけ、中橋さんは近くにいた岡村と僕を、クッキーのブリキ缶大金庫に呼んだ。
「約70だな」
「70って『万』ってことですか?」
「そうだ。まだ全部閉めてみないとわからないが、確実に超すだろう」
「ええっ、ウッソー! そんなに儲かったんですか?」
「バカ、売り上げだ。それでも30は確実に儲かってるな」
中橋さんは低い声で淡々と話してくれた。が、嬉しそうに
「やったな。おまえらよくやったよ」
と言って目を細めた。
他のテントに遅れること約2時間で、アッチェリアと洋弓乃瀧の打ち上げ大コンパが始まった。男女全員集合すると60名を超す大所帯は、もちろんテントには入りきれない。溢れ出た僕たちは店の前のコンクリートに円陣を作って始まりを待つ。コンパとはいえ、空手部程ではないが、ウチも体育会の端くれ、1年が気をつかう宴会に変わりはない。先輩たちのペースで宴は仕切られる。
中橋さんからの報告が、青木さんから全員に伝えられるとドッと歓声が上がった。
「1年よくやった。今日はおもいっきり飲め!」
拍手が巻き起こる。4日間鼻についたヤキトリの匂いも、自分たちで味わうと苦にならなかったし、『歌舞伎』と『歌麿』もおいしかった。他のテントに遅れること2時間、おあずけをくっていた宴会は、アルコールをハイペースで消費していき、全員をただの陽気なおにいちゃんとおねえちゃんに変えていく。力が抜けて行った。
「村田!」
誰かが叫んだ。端の方にいた僕はテントの前に押し出された。
「おう、なにやってんだ、おまえら」
三上さんの一言で、みんなに取り囲まれたと思ったら次の瞬間には体が宙に浮いていた。2回、3回と高く放り上げられながら、涙が止まらなかった。顔はクシャクシャ。カッコワリイ…。
その頃のキャンパスには、もう秩序は存在しない。見たこともないヤツが、大騒ぎでウチのテントにいると思えば、岡村は二つ隣のテントでヘソ踊りをやっているという具合。入り乱れ、はしゃぎまくりで、誰がどの、という区別をすること自体無意味だった。みんな友達だァ!
僕はというと、ヘロヘロになりながら握手をしまくっていた。最初はクラブの連中、先輩に涙ボロボロ流しながらしつこいぐらいにやっていたが、しまいにはとにかく近くにいたヤツとは誰彼なく手を握った。
嬉しかった。
いっきにはじけすぎてクタクタになり、テントのすぐ後ろの図書館の低い階段に腰掛けて休んだ。僕達のテントはまだ大騒ぎで、みんなで『勝手にシンドバッド』をどなっている。なにも考えていなかった。
「やったね」
白い細い手が差し出され、とっさに無意識で握った。
有紀だった。
泣いている。離さずに強く握り返した。
「ずっと見てたわ。あんなあなた見るの初めて…」
「いつから?」
「きれいな人と歩いていたでしょ…」
「ああ、お店助けてくれたんだ。あの人のおかげなんだ、うまくいったのは」
「私、ずっと一人でいたでしょ」
「ごめん」
「ううん、そうじゃなくて。 男の人に声かけられちゃって。どうしようかと思ったわ」
「凄いじゃん。僕の目に狂いはなかったってことだ」
「バカ。少しは心配してよ」
涙声だったがいつもの調子に戻ってきた。
「歩こう」
キャンパスの東側、桜並木をゆっくり歩いた。コツコツとヒールの音が響く。
「スカート似合うよ。でもずいぶん短いね」
「普通よ。ほんとは人に見せたくないからそう思うんじゃないの。また生意気言っちゃった?」
「正解! 見せたくない。ヘヘェ」
「ねぇ、踊りに行こ。なんか聞こえるわ」
アメフトが工学部のピロティをベニヤで囲ってディスコをやっていた。でも、もう終らしい。入り口には誰もいなくて、ただで入れた。中に入ると暗闇に大勢ひしめいて盛り上がっている。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのセプテンバーが終りかけていて、たぶんこれがラストソングだろう、切れ目なくスローバラードが始まった。
「ねぇ、この曲は?」
「…マイケル・ジャクソン。
タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」
完

